こんにちわ。ドラムの梶谷です。
先日、一つ、友達のバンドが解散しました。
「the opening cloud」
このバンドとは2年間、京都にある新風館という場所で一緒に切磋琢磨した僕らの数少ない友達のバンド。
どんなバンドなどってのは北小路がブログで書いてるので割愛するとして。
ここのドラマーであったヒデ事、中野秀則について僕は書こうと思う。
彼と出会ったのはさかのぼる事、もう10年近く前だ。
高校生の時、僕はパンクバンドをしていて、同年代の中では向かうとこ敵無(ドラム的な意味でね)だと思ってた。
今考えれば何ひとつわかってなくて、狭い狭い世界の中でただプライドだけで生きていたのではないかと思う。
やがてパンクをやめてポップスバンドに僕は入った。
パンクバンド仲間は大学へ進学し、サークルで新たなバンドライフを送っていた。
そこで、一度それぞれのバンドでライブをしようという話になって、皆が久々に集まった。
パンクバンド時代のメンバーが大学で新たに組んだバンドのドラマーってのがヒデ。
そこで出会ったのです。
自分以外のドラムはクソだ、俺が一番かっこいいと恥ずかしながら思ってた僕はヒデのドラミングで世界を変えられた。
パワフルな音、見事なテクニック、叩く様。見事に完敗したのだ。
そこから彼と交流が始まり、一緒にスタジオ入って練習したり、機材を貸し借りしたり、時には飲みに行ったり、バーベキューしたり、加茂川でドラム叩いたり。
初めて僕にドラマーの友達ができたのです。
彼が当時叩いてたバンドのCDを僕は腐るほど聞いて、彼のドラムをコピーしたりしてたなー。
ほんと真似ばっかしてた気がするね。MILKBARの音源のドラムも彼のドラミングからインスパイアした曲もあったり笑
写真をあんま僕はとらなくてびっくりするほど写真がなくて残念なんだが。
それから僕はMILKBARに入ってドラムを叩くようになり、ヒデはthe opening cloudに入った。
月日は流れ、僕とヒデは同じステージでドラムバトルをした。
MILKBARワンマンLIVE「人、人、人」
色んな人とコラボレーションをするというライブの中で、彼とソロバトルをしたのだ。
やった事なかったからどうなる事かと思ったけど、最高にいい汗をかいたのを覚えてます。
バトルの内容は僕の完敗でしたけど笑
あれはヒデとやってなければこんなに自分の中に残ってないと思う。
自分にとって大きく変われたポイントであったと思う。
あれ、こんな書き方をすると、ヒデがドラムをやめるみたいになってるな。。笑
彼はこれからもいつでも僕に刺激をくれるドラマーとして活躍していきますよ。
the opening cloudというバンドは無くなってしまうが、いつかまたどこかのステージで一緒にドラムを叩きたい。
楽しみにしてます。
またきっと負けるんだろうなー・・・笑
ドラム 梶谷
Ps.いつも写真なくてごめんなさい。撮影するクセをつけます。。
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